僭越(せんえつ)ながら…
階級を超えたsenior personに下からコメントするときに耳にする日本語ですね。これは何も日本だけではなく英語でも存在します。よく米大統領がでてくるような映画でも一介のCIA職員が「I apologize for my presumption but…」、あるいは「With due respect, sir, ….」なんて大統領に対してコメントを始めたりしますが、それがいわゆる「僭越ながら」というような気持ちを表しているようです。
- この気持ちを持つことは職場においてもまれではありません。言葉自体が少し大仰なのでわざわざそう前置きすることは少ないですが、そう思いながらコメントしたり、あるいはそう思ったがためにコメントを差し控えたりするのはまれではありませんよね。さて、ここでのテーマは「僭越ではないか」と思う度合いについて日本と欧米のメンタリティーに少しふれてみましょう。
- 言ったように、欧米人も我々同様に「僭越」という概念自体はもちろんあります。しかしどこからが僭越であるかというborderlineの位置は少し違うように見えます。欧米人には日本人よりもかなり高い位置にその「僭越ライン」があるように見えます。
- 具体的に言いましょう。ある組織があります。仮に次のような階層をなしていたとします:
President
Vice President
Director
Senior Manager
Manager
Assistant Manager
Staff
- さて、日本の会社に勤めるManagerの一人であるあなたは直属の上司であるsenior managerには密にcommunicationをとっているのはもちろんのことでしょうね。ではDirectorにはどうでしょうね?会議の場などではついつい「senior managerをさしおいて」と引けてしまい発言も控えてしまうかもしれません。ましてやVice PresidentやPresidentと同席となるともう「おまかせ」状態になってしまうでしょう。
- これが欧米の会社に勤める欧米人のManagerだとどうなるでしょう。会議などでは一つ飛び越えたDirectorにコメントしたり議論したりは普通で、必要とあればvice presidentにも遠慮なくコメントします(ただし、言葉遣いは丁寧にはなってきますが)。そしてPresidentぐらいに対して発言するような場になって初めて例の「僭越」という意識が出てくるようです。Apology for my presumptionとまではいわなくても、if I may commentなどがつき始めることでわかります。
- このあたりの違いが一般に言われる日本人は何を考えているかわかりにくい、おとなしいと言われる一因でもあると思います。ちなみに多国籍の社員を抱える私の勤める会社でも日本人は間違いなく世界中で1,2を争うおとなしい人種とみられているとおもいます。彼らは同じアジア人でも中華系、フィリピン人などはわかりやすくその分comfortableに感じているようです。反対に日本人に似ているのはアジアの中ではタイ人もいい例です。
- 僭越ながらコメントしてみました(^_^;)